6. 貧困という危機
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1. 貧困について
貧困
アマルティア・セン「潜在能力を実現する権利の剥奪」
1998年に貧困と飢餓に関する研究でノーベル経済学賞
貧困線
生活に必要な物資を購入できる最低限の収入を表す指標
貧困線以下で暮らす住民が多い社会では、経済発展は阻害されていると考えられる
絶対的貧困
1970年代に世界銀行で用いられ始めた概念
低所得、栄養不良、不健康、教育の欠如など人間らしい生活から程遠い状態を指す
具体的にどのような指標で示すかは多様
国際連合開発計画が定義した、40歳未満死亡率と医療サービスや安全な水へのアクセス率、5歳未満の低体重児比率、成人非識字率などを組み合わせたものが代表的
国連ミレニアム宣言は世界の絶対貧困率を2015年までに半減させるという目標を掲げた
2000年度の「人間開発報告書」では世界人口の約半数は1日2ドル未満で暮らしている
今日までまだ、この目標が実現されたとは聞いていない
相対的貧困
地球上には豊かな国と貧しい国とが共存しており、豊かな国に貧困がないということにはならない
ある国や地域の中で、貧困という部類に分類されるかどうかを表す指標
経済格差という視点からみた貧困の基準
日本での相対的貧困の定義「世帯の可処分所得を世帯人員の平方根で割って調整した所得(等価可処分所得)の中央値の半分に満たない世帯員」
この割合を示すのが相対的貧困率
2. 日本の貧困
1980年代前半「一億総中流」
北欧諸国並みに相対的貧困率が低い
1980年代後半から2000年にかけて急速に経済格差が広がっていった
社会の急速な変化→多くの人々が日本の貧困に気付かないうちに深刻な事態にまで立ち至ってしまった
そもそも日本の相対的貧困率が初めて公表されたのは2009年のこと
2012年度の統計では、日本の相対的貧困率は16.1%に登る
2014年の子どもの貧困率は16.3%(平成25年国民生活基礎調査)
一人親家庭だけに限ってこの数値を見ると、54.6%にまで達する
日本の貧困の特徴としてよく指摘されるのがワーキングプア
こうした貧困化の原因として考えられているもの
非正規雇用の増加、転職による収入低下、うつ病の発症、老親の介護、未婚化や離婚など
複数の原因が絡まっていることも少なくないだろう
東日本大震災による被災が原因で、仕事を失い、その結果貧困化した家庭も少なくないと思われる
また、貧困層の増加があまりにも急激であったために、社会保障制度が上手く機能せず、いわゆるセーフティネットが他の先進諸国に比べて整っていないという背景
ユニセフが2013年に行った先進国の子どもの幸福度調査
日本の子ども(1~12歳)は、その生活水準を表すと考えられる、子どもが持っていてもおかしくない物、8品目の所有が十分ではなく、2つ以上の品目が欠けている割合(子どもの剥奪率)が高いと評価された
8品目
子供の年齢と知識水準に適した本
自転車やローラースケートなどの屋外ゲーム用品
新品の衣服
修学旅行や学校行事の参加費
屋内ゲーム用品
宿題をするのに十分な広さと照明のある場所
インターネットへの接続
お誕生日やクリスマスなどのお祝い
日本の子ども全体の剥奪率が高いというよりは、貧困家庭の子どもに剥奪率の高さが集中しているのだろう
3. 貧困について水路付けモデル
3-1. 貧困が子どもに及ぼす影響
貧困が子供の発達に、物質的および心理社会的に、様々な負の影響要因となっていることを示す研究は数多い(e.g. Noble, McCandiss & Farah, 2007)
貧困は、家族の居住地や暮らし方にも影響し、過密、暴力、安全の欠如といった、問題を孕んだ住宅環境に暮らさざるを得ないという場合も少なくないことが海外の研究では多く指摘されている(e.g. Kohen, Leventhal, Dahinten, & McIntosh, 2008)
経済的困窮は、親同士の葛藤を悪化させたり、子どもにとって生活の中心となる大人が、社会的関係の破綻に至ってしまうといった現実に直面させることも少なくない(e.g. Watson & McLanahan, 2011)
両親が様々なストレスと闘っていると、抑うつ疾患、精神的苦悩、家庭内での怒りや攻撃を表現する率も増加するが、そのことが子どもたちの心理的発達にも、連鎖的に影響すると指摘されている(Ackerman & Brown, 2010)
経済的困窮情況の中にある子どもたちは、非常に多様な危機に直面しており、また同時に、質の高い世話などの、望ましい環境に接することも難しくなる(Brooks-Gunn & Duncan, 1997)
例えば、子供時代の言語発達の度合いが、その家庭の収入と正の相関関係にあることを示す研究は多い(e.g. Hart & Risley, 1985)
特に貧困が子どもの自己調整能力に影響する(Blair & Ursache, 2011)としたら、問題は深刻
自己調整能力
「自分の欲求や意志に基づいて自発的に行動を調整する能力」(Thorensen & Mahoney, 1974)
柏木, 1986はさらに自己調整に2つの側面を指摘
自己主張的調整
自分の意志や欲求を明確に持ち、それを他人の前で表現すること
自己抑制的調整
自分の意志や欲求を抑制・制止しなければならないとき、これを抑制すること
自己調整能力が貧困によって十分発達できない→勉学意欲の喪失、アルコールや薬物への接近、犯罪に巻き込まれたり自らが罪を犯してしまう可能性の高まりへと、つながる危険性をはらんでいると考えられる
貧困とこれらのマイナス行動とが、直結した関係にあると結論付けてしまうのは早計かもしれない
偉人伝中の人物たちの中にも貧困家庭の出身者は少なくない
確かに低収入過程の子どもの認知と行動は、非貧困家庭の子どものそれと、しばしば明らかに違っていると指摘されている
とはいえ、その原因が貧困にあるという説明だけでは十分でない
ブレアら(Blair & Raver, 2012)はそこに、親の養育態度という要因が大きく関係していると主張する
ブレアらだけではなく、数多くの研究の中でこれまでにも示されてきている(McLoyd, 1998)
近縁、自己調整能力がストレスレベルと緊密な関係があることが徐々にわかってきた
自己調整を支える神経基盤の発達は、子どもの初期経験、中でも特に初期の養育経験が大きく影響しているのではないか、さらには、それが繰り返されるのではないかという可能性が指摘されてきており、ブレアらもその点を強調している
例えばミーニーら(Meaney & Szyf, 2005)の親ラットの養育行動と仔ラットの受けるストレスとの関係についての研究
ラットの乳児は特にストレスの強い状態というわけではなくても、出生後に受けた母性行動の違いによって、海馬の糖質コルチコイド受容体の密度を決定する遺伝子の発現の度合いが違っていた
糖質コルチコイド
ストレスがかかると体内で一時的に増加するホルモン
海馬
脳内で最も糖質コルチコイドホルモンに対する感受性が高い部位
母ラットの個体差によって、仔ラットが受けるストレスの度合いは異なり、それが永続的な影響をもたらすと考えられる
糖質コルチコイド受容体の密度は、刺激に対する意志的で積極的な反応や、複雑な学習および記憶を司る脳領域の活動と強い関連性を持った神経内分泌レベルの調整にとって中心的役割を担っているもの
つまり、貧困という環境ストレスが、子どもに直接影響するというよりは、貧困とそれに付随する様々な逆境によって親が被るストレスが、子どもに対する養育態度に影響し、その結果として子どもにも影響が及ぶと考えられる
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ブレアらの指摘でもう一つ重要な点として、自分がたまたま置かれた環境に適応しようとして獲得した行動特性が、別の環境下では、望ましくない特性だと周囲から判断されてしまう場合があるという点
貧困という環境に置かれた場合、ヒトはその環境に適した行動や心的状態の適応を行うと考えられる
望ましくない環境への適応は、心理学的にも生理学的にも、短期の「利点」を得るために、生体にとって長期に亘る「犠牲」を強いるものとなるかもしれない
例えば、刺激に対するアドレナリン作用および糖質コルチコイド反応の増加は、脅威に対して生理学的にも心理社会的にも、より多くの反射と、より素早い反応を可能にする
この反応は安全でない環境下では有利に働く
しかし、こうした反応は他の方向への発達の可能性を制約し、健康と幸福にとって、短期及び長期の犠牲を伴うことになるだろう
青年期直前あるいは初期青年期にある子どもたちに関する縦断研究からは、社会経済的地位の高低によって彼らを区分した場合、低位にある子どもたちは、満足感の遅延の減少、学習された無力感の増加、心理学的苦悩の増加、ワーキングメモリ容量の減少など、貧困、ストレス生理学と自己調整との関連性が示されている(Evans & Schamberg, 2009)
mtane0412.icon ウォルター・ミシェルのDelayed gratification(マシュマロ・テスト)
mtane0412.icon マーティン・セリグマンの学習性無力感
生体にかかるストレスの増加が原因で、免疫系機能の変化が生じることも考えられる
最近の疫学研究からは、社会経済的地位の低さが常に、人生後期における健康状態の悪さと関連していることが示唆されている(Jackson Kubzansky, Cohen, Weiss, Wright & CARDIA Study, 2004; Miller Chen, Fok, Walker, Lim, Nicholls & Kobor, 2009)
日本は、貧困階層の発生からまださほどの時間が経過していないので、貧困のままに一生を過ごして高齢者になった人々の存在はさほど注目されていないが、近い将来、このような人々の健康の問題が、我々の社会に突きつけられる可能性がある
貧困によるストレスから養育者による虐待、ネグレクトなどの例外的にひどい扱いを経験した子どもたちに関する研究からは、彼等にHPA軸機能の変質があることが見いだされた
mtane0412.icon HPA系(視床下部-下垂体-副腎系)
これは過活動とそれに続く、刺激に対する反応の異常に少ない状態をもたらすことが示されている(Gunnar, Fisher, & the Early Experience, Stress, and Prevention Network, 2006)
この事の重要な点は、そのような反応傾向を身につけてしまうことによって、周囲の大人だけでなく、仲間たちからも攻撃されたり、排斥されたりしてしまうという事態に拡大されるかもしれないという点
いじめられた経験が異なる一卵性双生児を対象とした研究で、いじめられた経験を持つ方の子は、遺伝的に同じはずなのに、いじめられた経験をしていない兄弟に比べて、実験室内でのストレッサーに対してコルチゾール(コルチゾル)分泌がほとんどないか、あるいは非常に少なかった(Quellet-morin Danes, Bowes, shakoor, Ambler, Pariante & Arseneault, 2001)
コルチゾール
糖質コルチコイドの一種で、ストレスによって発散される
反対にいじめられ経験のない側の双生児は、実験室内で人工的に作り出されたストレスのある課題に対してコルチゾール分泌の増加を示した
いじめられ経験を持った子は、長期に亘ってコルチゾールレベルを上昇させ続けておくことによる悪影響から脳を守るために、HPA軸の反応を鈍らせた訳だが、これは実際にストレスが有る時に、ストレスから身を守るためのコルチゾル反応が鈍ってしまうことで、健康上の犠牲を導くことになる
こうしたトレードオフは行動レベルにも現れ、他者の怒りや攻撃に慢性的にさらされることで、感情的に否定的な刺激に対して、子どもが高度に警戒的な注意と反応性とを示すようになる
この行動的警戒レベルは、よく知らない教師や仲間たちから見れば、警戒心がいやに強い、付き合いの悪い子どもと解釈され、その子の社会関係を長く損なわせることになるだろう
特に虐待あるいは、貧困の中での養育環境では、より一般的に、HPA軸反応の変化、原因帰属スタイルの変形、環境手がかりに対する過剰な警戒心が、脅威に対してよりすばやい学習と反応をもたらしてしまう
こうした反応は対人的やりとりにおいて否定的になる可能性を増加させ、学校などの社会的状況の中での困難さを高めることにもなるだろう(Cicchetti & Rogosch, 2009)
3-2. 親への介入の試み
養育者である大人が、よい反応性、一貫性そして暖かさを高いレベルで維持できるように支援することで、子どもの自己調整にも連鎖的に影響が及ぶだろうと考えられる
貧困にあえぐ親の子育て支援を行うことで、親は貧困に関連した数多くのストレスフルな困難を乗り越えながらも子育ての質を良い方向に変えることができるということを示す研究がある
成人に新しい子育てのゴールと、子どもに対する対応の仕方を学ばせる援助をする、子育て訓練プログラムは、彼らが使っていた否定的なやり方を変えさせ、より敏感で応答的で、強制的でなくまた、不適切でない子育ての仕方を獲得させられ、その結果幼い子どもが行動的な調整不全の状態に置かれる時間を短くすることが、最近明らかになってきた(Dozier Lindheim, Lewis, Bicl, Bernard & Peloso, 2009)
例えば、複数年に亘って、介入プログラムSAFEChildrenを実施して、低収入家族で暴力の危険性の高い親たちに介入を行うことで、親たちがより安定して、一貫性のある子育てを行う率が有意に上昇し、随伴する現象として、子どもたちの注意、衝動性及び行動の調整も改善された(Tolan, Gorman-Smith, Henry & Schoeny, 2009)
ただし、こうした介入の効果は必ずしも常に高いわけではなく、高いという報告も、低いという報告もあるのが現状
さらに、肉親の親でなく、子どもたちを里親に預け、その里親への介入プログラムを行うという試みもあるが、いずれの場合も、その効果は必ずしも十分とは言えない
その理由としては、親の介入プログラムへの参加度の違いに加え、子どもの側に、環境からの影響に敏感な子どもとそうでない子どもとがあるということも関係していると思われる
さらに、家庭以外の場所、例えば幼稚園などでも、特別な配慮を持った対応のできる環境が用意されれば、より望ましいのかもしれない
現実的な問題としてそうした特別な幼児のための施設や人員の確保を可能にする資金の獲得が、日本の現状では非常に困難だろうと予想される
先に例に上げた、貧困家庭出身の偉人たちについてみると、彼等は貧困から来るストレスに負けないほど優れた能力を持っていたことは間違いないが、それに加え、貧困の下でありながら養育者をはじめ周囲の大人達から暖かく、受容的な扱いを受けたために、本来持っている能力を十分に発揮できたのだろうと推測される
→7. うわさと風評被害